友達も彼女もいない宅浪は「孤独」をどのように捉えているか

京都木屋町の路地裏にある行きつけのラーメン屋へ向かう道中、三条大橋から鴨川の河川敷を見下ろすと、土手に腰をかけて睦言を交わす幾組ものカップルが目に入る。川に沿ってカップルが等間隔に並んでいることから「鴨川等間隔の法則」なる言葉が生まれたというのは有名な話だ。夜になるとストリートミュージシャンがラブソングを歌い、川の水面には煌々と街の灯が反射する。

この光景を見ると、強烈な孤独感が押し寄せてくるのは何故か。

 

よくよく考えてみると、私が強く孤独を感じる時は、決まって外界との接触が引き金になっているように思う。
実際に外に出て、他人が社会生活を営んでいる様子を目の当たりにし、ようやく自分が孤独であることを認知する。「自分は何の成果も出せないまま独りで足踏みし続けているのだ」と気付かされる。

意外に思う人も多いだろうが、私は自宅に籠って勉強をしている時に孤独を感じることはほぼ無い。むしろ勉強している間だけは孤独や不安を忘れることが出来る。
この理由はきっと「勉強に取り組んでいる瞬間だけは、自分の人生がプラスに進んでいると思い込めるから」であろう。もちろん、勉強さえしていれば人生が好転するなどというのは幻想に過ぎない。しかし、少なくとも浪人生にとっては、勉強している時間は自己肯定できる時間に等しいのである。逆説的に言えば、ゲームしている時、遊びに出かける時、そしてブログを書いている時は常に自己嫌悪と隣り合わせだと言える。一般的に現実逃避だと思われるような行為が現実逃避になっておらず、勉強が一種の逃避と化しているのは奇妙な話である。

 

精神的負担を考慮すると、自宅浪人はできるだけ孤独を感じないようにするべきだという人が多数であろう。しかし私は、孤独感から生じる「もう一度社会に復帰したい」という衝動を大切にすべきだと思う。孤独や不安といったマイナスの感情を、いかに勉強のモチベーションへ昇華するか。ここが自宅浪人の運命を分けるポイントだと考えている。