【二浪した結果】私立文系全落ちした

私大の合否が全て出揃った。
 
慶應義塾大学 文学部 不合格
上智大学 文学部 不合格
同志社大学 文学部 不合格
 
同志社のみ合格発表時に得点開示を行っている。
英語(131/200)

国語(107/150)

日本史(116/150)

合計(354/500)※合格最低点は(362/500)
 

f:id:yanagita920blog:20190227225431j:plain



これに加えて、前期の筑波大学人文・文化学群人文学科を受験した。合否結果はまだ出ていないが、おそらく落ちただろう。センター試験は七割しか得点できなかった。
 
この結果に対して、私は後悔や悲嘆の念に暮れる資格すら持ち合わせていない。浪人とは名ばかりで、真面目に勉強もせず、働きもせず、恵まれた環境に甘えて延々と時間をドブに捨て続けた結果がこれである。知能も継続力も自己管理能力も欠如した人間が浪人なんてすべきでなかったのだ。それは最初から分かっていた。分かっていたけれど私は欲に負けてしまった。
 
一貫して努力することから逃げ続けた私を最後まで応援してくれた両親には、申し開きのしようがない。絶対に合格出来ないと分かっていながら親の期待を背負って関東圏の大学まで向かい、案の定問題が解けなかったときには、脳が焼けるような感覚に襲われた。もう受験なんてしている場合ではないのだと、これでようやく気付いた。今私が考えるべきことは、親に煩わせた苦労や金銭的負担の償いをどのようにするかということ以外に無い。

 

浪人はこれにて終了である。二年もの間、なんの進捗もない空虚な時間を過ごしただけだった。私が大学にかける思いなど、所詮はこの程度であったということだ。

とりあえず大学受験は諦めて、人に迷惑をかけないで、自力で生きていけるようになりたいと思う。

 

 

勉強から逃げ続けた二浪がセンター直前になって思うことなど

久しぶりに記事を書く。支離滅裂なことを書いているかもしれないのでご注意を。

 

 

 

ブログの更新が途絶えてからの数カ月間も、私は自堕落な生活を続けていた。

大学受験を半ば諦めたかのように勉強から遠ざかり、突発的に大学への未練を想い出すとおもむろに参考書を眺め、気力が減衰するとまた勉強から遠ざかるという、そんなサイクルの中に居た。

 

あと数日で人生三度目のセンター試験である。はたしてどれくらいの点数が取れるだろうか。

 

全く分からない。

人は不勉強の極地に立つと、自分の実力でさえ見当がつかなくなるんだなと思った。

どれほど英単語を忘却しているだろうか。どれほど歴史の用語を忘却しているだろうか。数学の基本的な演算は出来るのだろうか。

全く分からない。

 

思い返せば、現役時代、一浪時代、そして今、ずっと同じ過ちを繰り返している。「いつか自分は結果を出すはずだ」という在りもしない可能性に夢を見続けている。当たりの無い宝くじを延々と買い続けているようである。

 

浪人期間を経て人格も価値観も変わり、随分と卑屈になったと思う。自分は駄目な人間なのだと、思いたくないのに思ってしまう。自己嫌悪を繰り返し、知能も体力も衰え、人脈も失くしてしまった。客観的に見て何一つ良いことはなかった。

 

だけど私は浪人が出来て幸せだった。

「浪人すれば大学に行けるかもしれない」という無根拠で何の実益もない勘違いが、私にとってはこの上ない贅沢だった。

極論を言うと、この感覚こそが死なずに居られる理由なのだ。テストで点が取れなくても、親に家を追い出されて働かざるを得ない状況になっても、いつかどうにかして私は大学に行くのだろうという漠然とした意識が、心の深層に流れている。理屈では無理だと分かっていても、心のどこかで「未来の自分が勉強を頑張ってくれるのではないか」と妄信している。

このようなうちは「つらい」だとか「死にたい」だとか言いつつも、ギリギリ生きていられると思う。他人から見れば狂気の沙汰だろうが、本当にそう思うのである。

(もちろん、このような感覚こそ、私が多浪になる主な理由であることは言うまでもない)

 

これまでの行いを後悔していないと言うと嘘になるが、私は自分の限界までやってきたと思っている。「努力出来る限界」がこの様だった。もうそれを受け入れるしかないのだ。受験結果を真摯に受け入れる覚悟を持って、何の言い訳もせず、センター試験に臨みたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【圧倒的英語弱者】慶應義塾大学文学部の得点開示が届きました【懺悔】

慶應義塾大学文学部の得点開示がようやく届いた。惨敗である。

英語 60/150 
日本史 54/100
小論文 75/100
合計189/350 (合格最低点-39点)

f:id:yanagita920blog:20180606190254j:plain

f:id:yanagita920blog:20180606190343j:plain

英語の点数を見て絶句した。記述形式の英語には自信があったし、受験した当時もそこそこ手ごたえを感じていたのだが、蓋を開けてみれば英語が一番悪い。
何が原因でこんなに悪くなったのか。記号問題は全て合っていたから、記述で相当落としているはずである。配点の高そうな要約問題が解けなかったことが敗因だろうか。
慶應文学部の英語は問題数が10問程度で、配点のほとんどが記述・論述である。
したがって一問ミスをしただけで相当な点数が削られてしまう。和訳、英訳、要約問題の対策をもっとしっかりしておけばよかった。

日本史は自称得意科目だったのだが、年号や数値を覚えきっておらず、記号問題で大幅に点を失うことになった。記述問題に関しては、漢字の書けない用語が数個あって悔しかった。相変わらず戦後史と近代文学史の知識が欠落している点は早くなんとかしたい。
しばらくは東進の一問一答で細かい知識を見直していく予定である。

小論文は出来が良い。平均得点率55%に対し、私の得点率は75%である。
今回は私が日頃から思い悩んでいる「自由意志」についての論題だった為、比較的楽に解答を作成できた。自由意志に関する書籍はいくつか読んでいたので、その内容をコピペしたようなものである。やはり小論文は運ゲーだ。
したがって来年また同じ点数を取る自信は全くない。やはり英語と日本史で稼ぐ必要がある。

 


ちなみにもう一つ受けた私立大学がある。同志社大学文学部文化史学科である。

英語 151/200
日本史 114/150
国語 91/150
合計 356/500 (合格最低点-12点)

f:id:yanagita920blog:20180606190436j:plain

慶應文とは対称的に英語と日本史がよく、国語が悪い。

 

結論を言うと全科目安定感が無いのである。形式によって得点が大幅に変動するようでは真の実力とは言いえない。

一年間という猶予がありながら三教科ですら満足に習得できないというのは恥ずかしいことだ。要領が悪いのに私文専願から国文志望に変えたのが悪手だったのかもしれない。しかし今更数学・世界史・理科を捨てて私文専願に戻るという気は起きない。引くに引けない状態になってしまった。

来年は一校でいいから合格したい。そうでなければ頭がおかしくなりそうだ。

友達も彼女もいない宅浪は「孤独」をどのように捉えているか

京都木屋町の路地裏にある行きつけのラーメン屋へ向かう道中、三条大橋から鴨川の河川敷を見下ろすと、土手に腰をかけて睦言を交わす幾組ものカップルが目に入る。川に沿ってカップルが等間隔に並んでいることから「鴨川等間隔の法則」なる言葉が生まれたというのは有名な話だ。夜になるとストリートミュージシャンがラブソングを歌い、川の水面には煌々と街の灯が反射する。

この光景を見ると、強烈な孤独感が押し寄せてくるのは何故か。

 

よくよく考えてみると、私が強く孤独を感じる時は、決まって外界との接触が引き金になっているように思う。
実際に外に出て、他人が社会生活を営んでいる様子を目の当たりにし、ようやく自分が孤独であることを認知する。「自分は何の成果も出せないまま独りで足踏みし続けているのだ」と気付かされる。

意外に思う人も多いだろうが、私は自宅に籠って勉強をしている時に孤独を感じることはほぼ無い。むしろ勉強している間だけは孤独や不安を忘れることが出来る。
この理由はきっと「勉強に取り組んでいる瞬間だけは、自分の人生がプラスに進んでいると思い込めるから」であろう。もちろん、勉強さえしていれば人生が好転するなどというのは幻想に過ぎない。しかし、少なくとも浪人生にとっては、勉強している時間は自己肯定できる時間に等しいのである。逆説的に言えば、ゲームしている時、遊びに出かける時、そしてブログを書いている時は常に自己嫌悪と隣り合わせだと言える。一般的に現実逃避だと思われるような行為が現実逃避になっておらず、勉強が一種の逃避と化しているのは奇妙な話である。

 

精神的負担を考慮すると、自宅浪人はできるだけ孤独を感じないようにするべきだという人が多数であろう。しかし私は、孤独感から生じる「もう一度社会に復帰したい」という衝動を大切にすべきだと思う。孤独や不安といったマイナスの感情を、いかに勉強のモチベーションへ昇華するか。ここが自宅浪人の運命を分けるポイントだと考えている。

 

自宅浪人に失敗した男の言い訳

*
受験結果
センター試験自己採点    610点(現役時491点)
同志社大学文学部文化史学科 不合格(合格最低点 -12点)
慶應義塾大学文学部     不合格(点数開示は数カ月先になる模様)

 

浪人生活の総評

この一年は苦悩の連続であった。単に学習内容が理解できなくて苦悩しただけではない。行動力が伴わないまま完璧主義へ傾倒し、思い通りに努力が出来ないせいで極度の自己嫌悪に陥り、苦悩したのである。知らぬ間に自分の理想像は規格外に膨れ上がっており、理想の私と現実の私との差にただ絶望するのみであった。
 
宅浪を決めた当時は、この私に限って浪人生活が失敗するはずがないだろうと何の根拠もなく信じ込んでいた。しかし、実際はセンター試験も満足に解けず、私立は全落ちという、なんとも無残な結果に終わった。「俺はまだ本気を出していないだけだ」と自分に言い聞かせ、勉強から逃げ続けた結果、いつの間にか手遅れになっていたのだ。
 
自分は特別な存在であり、希望の大学に行く運命にあるのだという幼稚な幻想と、「勉強すること」すら出来ない無力感との狭間で身動きがとれなくなっていた。プライドを拗らせた低偏差値浪人の典型である。
 
もう半年もすれば私は二十歳だ。いい加減自分は特別な存在ではないのだということを理解しなければならない歳である。それなのに私のプライドがそうすることを頑なに拒んでいる。二度も受験に失敗しているのにも関わらず、いまだに少数派である宅浪の成功例になろうと意気込んでいる。私には大学受験しか見えていない。大学に合格することでしか自分を許すことができない。正気な人はきっと「一浪目でまともに勉強しなかった者が二浪すべきではない」と言うだろう。しかしそのような正論は、拗らせた浪人には通用しない。たとえ二浪がどれだけ愚かな選択であろうと、私はこの道を進むしかない。